「立春」
2023.02.10

暦の上では立春を迎えました。日中の気温も少しだけ上昇して、松江城椿谷の梅もほころび始めています。毎年、この時期になると椿谷を訪れることにしていますので、立春といえば「梅の開花」という感覚になっています。全国各地の梅も徐々に咲き始めているのではないでしょうか。★椿谷の梅の花を眺めていると、なぜか昔読んだサン・テグジュペリ作の「星の王子さま」に登場するバラの花を思い出します。王子さまは旅の途中で沢山のバラの花を見ますが、故郷の星に残してきた気難しくトゲのある1本のバラが自分にとってはかけがえのない大切な存在だったことにあとで気付くというお話。いつもそばで眺めていると分からないけど、離れてみるとその大切さや一緒に過ごした時間の意味を実感するという内容だったでしょうか。文中にある「本当に大切なものは目では見えない」という言葉が強く印象に残っています。★お釈迦樣が説いた「八正道」には最初に「正見(しょうけん)」が示されています。これはものごとを「正しく見る」ことの大切さを説いたものですが、先入観や偏見を捨てて真実を正しく見ることは簡単なことではないとされています。慌ただしく時間に追われる日常の中でも本当に大切なものや、感謝しなければならないことなど、つい見過ごしているかもしれないと感じることがありますね。★今日は朝から冷たい雨が降っています。日中の気温もそれほど上がらない予報になっているようです。
「雪化粧」
2023.01.30

穏やかだった大寒前から一転して、ここ数年で一番の積雪となりました。今朝は少しだけ寒さが和らいでいるようです。★この雪で松江城周辺も美しい雪景色となりました。華やかな色彩が溢れる現代社会の中では、時折出会う自然の中の素朴なモノトーンの色調に目を奪われます。画像は数日前の早朝に撮影したものですが、雪が自然の木々の輪郭を際立たせて一枚の水墨画のような風景になっていました。かつての人々が美しい景色を水墨画にして残そうとした気持ちも分かるような気がしますね。★大陸から伝えられた水墨画は仏教の「禅」と深い関わりがあるとされています。水墨画は墨の濃淡だけで描く技法により、ギリギリまで無駄を削ぎ落とすことで描く対象の本質を表現すると言われます。これは「我欲」や「煩悩」を削り取ることに繋がることから、古くは禅宗の僧侶の多くも水墨画を描いたそうです。元来、「禅」には「削ぎ落とすこと」あるいは「手放すこと」で本質的な豊かさを説く思想があるそうで、これも修行のひとつとされたようです。素朴で飾ることのない表現の水墨画は、謙虚さや忍ぶ心を尊重する日本人の自然観や人生観と符合してきたのかもしれませんね。★明日からは徐々に気温も上昇する予報になっています。立春頃からは青空も見られそうですね。
「大寒」
2023.01.20

暦の上では「大寒」を迎えました。一年で最も寒い時期とされていますが、比較的穏やかな天候が続いていますね。★「大寒」は二十四節気のうちの二十四番目にあたり、次は一番目の「立春」となります。古くから大寒の時期の水は冷たく清らかで霊力もあると考えられていました。神道では大寒の冷たい水を浴びて自らの罪や穢れを落とし清らかにする「禊祓(みそぎはらえ)」が行われ、仏教においては寒さの中で托鉢や誦経、座禅、あるいは滝に打たれるなどの「寒修行」が行われます。画像はあの武蔵坊弁慶も打たれて修行したという伝説が残る出雲・鰐淵寺の「浮浪の滝」。眺めているだけで湧き出る煩悩も打ち砕かれるような神秘的な空気が漂っています。★また、厳しい寒さの時期の「大寒の水」は雑菌も繁殖しにくいため、かつては汲み置きをして薬や料理に使う風習があったようです。現在でもこの時期の「寒仕込み」の酒、醤油、味噌は雑菌の影響が少なく、発酵もゆっくり進むので味に深みが出ることから珍重されています。そのほか「寒卵」や「寒蜆」など寒の時期のものは上質で栄養価も高いと言われます。大寒の時期はあらゆる生命が浄化して寒さを乗り切るためのエネルギーを蓄える時期と言えるかもしれませんね。★寒い時期に外に出るのは億劫になりますが、十分に栄養を摂って寒い冬を乗り切りたいものです。
「うさぎ年」
2023.01.10

うさぎ年の一年がスタートしました。山陰地方は比較的穏やかな天候のお正月になったようです。★子供の頃、月には兎(うさぎ)がいるという話を聞かされました。不思議な話ですね。でもこれはインドに伝わる仏教説話に起源があるようです。昔、天竺の森に兎、猿、狐が住んでおり、3匹はある時、力尽きて倒れた老人に出会います。3匹はその老人を助けようと、猿は木の実を集め、狐は川から魚を捕りそれぞれ老人に与えました。しかし兎はどんなに頑張っても何も得ることが出来ません。自分の非力を嘆いた兎は何とか老人を助けたいと考えた挙句、猿と狐に火を焚いてもらい自らの身を食料として捧げるべく火の中に飛び込みます。その姿を見た老人は「帝釈天」としての正体を現し、兎の慈悲行を後世まで伝えるため、兎を月に昇らせたということです。この話は「今昔物語集」の中に記載があることから、平安時代末期にはすでに伝わっていたと考えられています。切なく悲しい話になっていますが、この説話は一体何を伝えようとしたのでしょうか?本当のところは分かりませんが、兎の行動を通して慈悲の心の尊さを伝えたかったということかもしれませんね。日々の暮らしの中では何かと思い通りにならないことばかりですが、うさぎ年の一年、思いやりの気持ちを忘れずに過ごしたいと思います。★今週の前半は穏やかな天気になりそうです。後半も雲は多いものの気温はそれほど下がらない予報になっていますね。