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「お盆百科」

2025.07.10

暦の上では「小暑」を迎えました。江戸時代の「暦便覧」には「大暑来れる前なればなり」と記されており「徐々に暑さが増していく頃」とされます。今年は6月下旬の梅雨明けと同時に連日のように真夏日を記録しており、随分早く本格的な夏が到来したような印象ですね。★いよいよお盆まであと1か月余りとなり、私たちもお盆の準備のお手伝いで慌ただしくなってきました。例年、この時期になるとお盆のお供え方法についてのご質問を頂くようになります。特に初めてお盆を迎えるお宅では分からないことも多いと思いますので丁寧にご説明させていただいています。また、お盆について分かりやすく解説した冊子「お盆百科」(40ページ)もご準備しています。「盆提灯はいつから飾るの?」「盆飾りの牛と馬の意味は?」「迎え火・送り火ってなに?」などお盆の疑問を分かりやすく説明してあり、読みやすい内容になっています。店頭に置いてありますのでご自由にお持ち帰りください。また、盆棚の飾り方や、盆提灯の組立て方法などについて分からないことがあればお気軽にご相談下さい。★今週末も気温が上昇する予報になっているようです。水分補給を心掛けて体調管理に留意しなければなりませんね。

「茅の輪くぐり」

2025.06.30

早いもので令和7年も折り返しを迎えました。山陰地方では早くも梅雨が明けて夏本番ですね。★この時期になると全国の神社では「夏越の大祓(なごしのおおはらえ)」という神事が執り行われます。一年の前半を無事で過ごせたことに感謝するとともに、半年間の罪や穢れを祓い清め、残りの半年も無事で過ごせるよう願う神事とされています。現在は画像のような「茅の輪(ちのわ)」と呼ばれる輪をくぐり抜けてお祓いをする行事として知られていますね。(画像は阿羅波比神社)★神社に設けられる「茅の輪」は大きなものですが、もともとは腰に付けるほどの小さなものだったようです。奈良時代初期に編纂された「備後国風土記」にも「蘇民将来(そみんしょうらい)」の娘が「茅の輪」を腰につけ災厄から免れたという話が記されているそうです。「茅」は古くから神聖なもの、あるいは魔除けとしての呪力を持っているとも言われ、これが時代を経てやがて大きな「茅の輪」となり神社の鳥居などに取り付けられるようになったとされています。普段意識することはありませんが、日々の暮らしに浸透した文化そのものが日本固有の精神と信仰の姿を表しているように感じることがありますね。★来週にかけて気温も上昇する予報になりました。しっかり体調を整えて暑い夏を乗り切りたいものですね。

「漢字」

2025.06.20

今週は盆提灯の展示もできあがり、やり残した業務に集中しています。普段の仕事では墨で文字を書いたり、彫刻したり、あるいは特殊な技法で金色文字を書いたりします。それぞれ用いる道具は異なっており、彫刻の場合は朱色の墨と小刀、金色文字の場合は漆と金粉、墨書きの場合は黒墨を用います。画像は研ぎ上げる前の小刀で、彫刻には欠かせない道具の一つですね。★私たちはおもに「漢字」を取り扱っていますが、これらはいつの時代から用いられるようになったのでしょうか? 文献や出土品などの史料によれば、紀元前1600年~1050年頃の中国殷王朝の時代にはすでに使用されていたようで「甲骨文字」と呼ばれるものが「漢字」の起源となっていると考えられています。その役割は様々で、古くは神との対話を文字にして人々に伝える目的などのほか、支配者の偉大な功績を後世に残す記録や政治を円滑に進めるための手段などに用いられたとされています。日本に「漢字」が伝わったのは弥生時代の後半期、文字として使用されるようになったのは古墳時代中期となる5世紀頃からのようです。★文字を書くよりもパソコンのキーを打つ方が多くなっている昨今ですが、少しでも手で文字を書くという時間を持ちたいものですね。

「盆提灯」

2025.06.10

暦は移り明日は「入梅」。暦と重なるように全国の広い地域で梅雨入りとなりました。松江でも今朝は雨雲の広がる空模様となっていますね。★6月になると私たちは盆提灯の展示を始めます。画像のような「大内提灯」と呼ばれる三本足の組み立て式のものをはじめ、組み立て方法の簡単な伸縮型の提灯なども展示させていただきました。近年はモダンなお仏壇に合うシンプルな構造の提灯も多くなっていますね。★仏教では「六種供具」のひとつとして古くから「灯明(とうみょう)」が用いられてきました。灯明はその闇を破る悟りの智慧、あるいは般若をあらわすなどと解釈されます。提灯は照明器として独自に発達した歴史があるとされますが、やがてお盆の魂迎えや魂送りに用いられるようになったと考えられています。江戸時代の慶長年間(1596~1615年)には岐阜地方に産する竹を骨として美濃紙を張った提灯を領主の尾州候が三代将軍に献上したという記録が残されています。江戸で一般に軒先に吊して用いられるようになったのは、さらに時代が下った江戸時代後期の文政、天保年間の頃になってからだそうです。★灯火の燃料を準備することが簡単ではなかった時代の人々にとって「明かり」は現代では想像もできないほど大切なものだったのかもしれませんね。