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「仏壇クリーニング洗浄」

2023.11.10

11月に入ってからも気温は下がらず、かつて鼕行列が行われていた11月3日は松江でも25度を越える夏日となっていました。過去の鼕行列はみぞれの降る中で行われたこともあるそうなので、随分と暖かい秋となっているようです。古代中国で考案された「二十四節気」では四季の始まりは立春、立夏、立秋、立冬の四つで、暦の上では11月8日の「立冬」から冬となります。立冬は「秋が極まり冬の気配が立ち始める日」とされていますが、本当の冬はもうしばらく先になりそうですね。★今年も残すところ2ヶ月を切り、私たちの工房でも年末までに納入するお仏壇や仏具の修繕などの業務で慌ただしくなりました。画像はご自宅の建て替えの機会に合せ、お仏壇のクリーニング洗浄のご依頼でお預かりした「唐木仏壇」です。クリーニング洗浄の手順としては分解、洗浄(すす洗い)、木地補修、塗装、金具補修、背板・障子の張り替え、組立てとなります。今回は塗膜に傷みが見られるので、研ぎと塗装が中心になりそうです。納期は「塗り仏壇」よりもやや短く、1ヶ月程度で完成となります。様々な業務の同時進行となっていますが、順調に行けば予定通り年内には納入できると考えています。(画像はご依頼者様にご了解を頂き掲載しています)★今日の松江は小雨の降る朝を迎えています。週末を通して雲の多い天候になりそうですね。

「聖観音菩薩像修復②」

2023.10.30

暦の上では「霜降」を迎えて朝晩の気温は一段と低くなりました。二十四節気では秋の最後の節季になるので晩秋ということになります。この時期からは山々の木々が本格的に色づいて紅葉の見頃となりますね。古くからこの時期は一日の温度差が大きく徐々に気温も低くなることから、健康維持のためにも栄養価の高い食べ物をしっかり摂って寒い冬に備える頃とされます。「霜降」の次は「立冬」。いよいよ暖房器具の準備を始める時期になりますね。★観音菩薩像の修理は分解工程から木地の補修工程に入っています。部材ごとに膠(にかわ)で固定されているので、各部材をぬるま湯で溶かして分解します。熱湯で溶かす方法もありますが、早い技法である反面どうしても木地を傷めてしまいますので時間を掛けて分解します。このあと、水分を含ませながら丁寧に下研ぎを行ってから、木地調整、下地調整となります。この聖観音菩薩像はこれまでに修復された形跡はなく、宝冠の金具類と右手、左手の持物と思われる蓮華が欠損しているほかは、木地の状態を含めて極めて良好な状態でした。100年の歳月を遙かに超える時間を過ごしてきたことを考えると驚くばかりです。欠損部位は丁寧に造り直して後補したいと思います。★先週の後半は雷を伴った不安定な空模様でしたが、今週は秋晴れの見られる穏やかな天候になる予報になりました。

「灘町と共に」

2023.10.20

長い歴史をもつ松江の秋の伝統行事「松江祭鼕行列」が15日に盛大に開催され、14町内と2団体は揃いの法被に身を包み、勇壮な鼕の音を響かせながら松江城大手前から白潟天満宮前まで練り歩きました。画像は天満宮前で熱演に見入る市民の皆さんと石橋二丁目の鼕台。★7月には鼕行列の安全祈願祭が松江神社で執り行われ、同時に鼕の出発順を決めるくじ引きが行われました。今年の1番くじを引いたのは灘町。灘町の石川実行委員長は「先頭で叩けるのは名誉なこと。感謝の気持ちを込めて打ちたい」と語っておられました。しかし、残念なことに鼕行列前日の練習で鼕台の車軸が破損したとのこと。修理が間に合わず、やむを得ず参加を断念されました。どれほど無念な思いであったでしょうか。★鼕行列当日の式典では1番鼕の灘町の代表挨拶で「今年、灘町は鼕台を出すことはできませんが、心はひとつ。皆さんと一緒に参加させて下さい」と語っておられたのが印象的でした。直前まで準備をされた方々の悔しさは容易に想像できます。今年は「歳徳神」の下に2番札を掲げた幸町鼕台が先頭となる鼕行列でしたが、多くの参加者の心は「灘町」と共にあったのではないでしょうか。そして鼕行列は松江がひとつになる大切な祭りであると改めて感じた一日となりました。喜びも悔しさも織り交ぜて、また鼕行列の歴史の1ページが加わったような気がします。

「聖観音菩薩像修復①」

2023.10.10

松江は小雨の降る朝を迎えています。今日は雲の多い一日になりそうですね。★京都などの寺院を巡ると数多くの観音菩薩像が祀られていることが分かります。「観音さま」として知られるこれらの「観世音菩薩像」はいつ頃から存在したのでしょうか?実はその起源は古く、インドでの観音信仰の成立は紀元1世紀頃とされています。当初は「聖観音像」が中心で、のちにヒンドゥー教の影響を受け、多くの顔や腕をもつ「多面多臂(ためんたひ)」などの密教的な観音像が誕生するようになったようです。5世紀頃には中国で観音造像が盛んになり、日本には飛鳥時代に伝来したと考えられています。当時の観音信仰は鎮護国家、あるいは除災などの現世利益が中心で、平安時代の10世紀頃になると浄土信仰の発達を背景に観音信仰も来世利益的な意味を持つようになります。のちに観音信仰は全国に広まり、衆生を救う慈悲深い菩薩さまとして民衆信仰の代表的な存在となったとされています。★現在でも観音様はお仏壇やお堂に安置され広く信仰されています。画像は「聖観音菩薩像」で、修理のご依頼を頂きお預かりしたものです。大変古い観音像ですが表情や衣、蓮華座などの彫刻は端正に仕上げられ、漆箔も丹念に施されています。経年による傷みは見られるものの、長い歳月にわたり大切にされてきたことがうかがえます。時間をかけて丁寧に修復してお返ししたいと思います。(画像はご依頼者様にご了解を頂き掲載しています)